僕はタイガー

ただの日記でしたが、2015年9月から娘ログになってしまいました。

秋と同窓会

長いことブログを書いていなかった。転職して生活がせわしなく、心が書くことに向かなかった。それだけではなく、子どももある程度大きくなり、親が気がつくような急激な成長ではなく、目に見えないゆっくりとした精神的な成熟をしているせいもあり、書くネタがなかなか思いつかない。

子も小学生にもなると、お友達や周りの大人との関わりの中で、失敗を繰り返しながら少しずつ学んで成長していくのだろうと感じる。もう親が主導して子の成長を促すような手助けは不要のようだ。信じて見守る。それが一番難しい。

 

さて、私はというと、9月に空手の組手の初試合があり、年齢と習熟度別のクラスで優勝した。出場者が3人しかいなかったから2回勝てば優勝だったんだけど。それでも試合前のプレッシャーは半端なかったし、勝てたことは素直にうれしかった。

それから母校の学祭が4年ぶりのフル開催となり、約8年ぶりの母校訪問、そして卒業ぶりの部活の同窓会に参加してきた。これが本当に楽しかった。先生も引退されて研究室に知ってる人がほぼいなくなってしまったため、研究室の同期は誰も来てなかったが、部活の同期はかなりの人数で集まれた。地方組が4名、それぞれ家族を連れて来ており、ほぼ卒業ぶりに会っていない人たちの家庭の姿を見るのは新鮮だった。そして関東組も会おうと思えば会える距離にはいるが、それぞれ家庭がありなかなか会うことはなかった。そのメンバーで一軒家の民泊を借りて、一晩飲み明かすという趣旨の催しを行った。卒業ぶりに会った人もいるのに、一瞬で元に戻れるのはなぜなんだろう。皆本当に見た目も中身も変わってなかった。

懐かしい人たちと会って話したことで昔の自分を思い出し、自分は変な奴だったんだなと改めて思った。同期との関係性の中で、自分は頭のおかしい人間だったんだと再確認ができてなぜか安心した。昔のような変な自分はすごく気が楽だった。親になって自分が常識人でなければいけない、子どもの手本になれるような人にならなければと自分を追い込んでいたのだろう。変な人が普通の人に合わせるって、苦しいのが当たり前だったんだ。

さて、仕事の忙しさの合間をぬって年末までに人に会ったりしなければ。人に会って話をすることは私の中で優先順位が高い。大切な人との縁は細くてもなるべく繋げていきたいのである。

落ち着かないGW

こんなに落ち着かないGWは初めてだった。GW明けの客先との打ち合わせに必要な資料を作るため、ずっと隙間時間に仕事をして、仕事のことを考えていた。忙しいというか、やったことがない仕事なのでいろいろ細かい事に慣れていないのと分からない知らないのでとにかく時間がかかる。完成形も予想がつかない。適当にフォーマットを渡してくれて、それを少し改良するだけならどうにかなったのに。フォーマットもないイチから作る提案書なんて、本当に大変だった。過去に似たような業界にいたとはいえ、提案業務はやったことがなかったため本当に大変であった。実はまだ終わってないのだけれど。いい年での転職で、実力を試されているのかもしれないが、それにしてももう少し考慮してくれよと思う。上司は何を考えているんだ。10年違う仕事をしてたんだぞ。でもやるしかない。中途って大変だな。

4日目以降

コロナ発覚4日目。相変わらず咳、喉の痛み、倦怠感がひどい。会社からリモートワーク用のパソコンが届きリモートワーク開始。ミーティングに参加するが、ただ聞いてるだけなのに体がつらい。夫はリモートワークが性に合わないようで一日中イラついて会社の電話に怒鳴りつける。リモートワークをしている夫を見ると、真剣に離婚を考えてしまう。更に朝、昼、夜と私が家事を担うのがつらい。夕方、娘の担任の先生が家まで学習用タブレットとプリント類を届けてくれた。明日からは娘もオンラインで授業を受けられる。ふと、嗅覚が全くなくなっていることに気がついた。

 

5日目。体の調子が少し上向きになった気がする。昼の咳、喉の痛みがましになった。娘のオンライン授業が始まった。先生が普段よりもかまってくれるため、娘は積極的に発言をしていた。授業開始前の友達とのやりとりも楽しんでいる。親は仕事でかまってやれないので、授業があるとテレビ漬け、ゲーム漬けにならないためよかった。学校行かずに毎日オンライン授業でもいいと言ってる娘。

 

6日目。徐々に咳が治まり、午前中の倦怠感が少し楽になった。娘はオンライン授業を楽しんでいるが、アイスや菓子類といった食事以外の嗜好品がなくなってきてピンチだ。生鮮食品もとっくに尽きた。と、思ったら義理の母から支援物資が届く。野菜、チルド食品、ご当地レトルト食品、グミ、雑誌の小学一年生も入っていた。本当にありがたい。娘も大喜び。

 

7日目。昨日は私の療養解除日だった。夫、娘が遅れて発症したため、大っぴらに外には出れないが、夜に散歩をした。一週間ぶりの外は気分がよかった。春の空気だ。